へんな写真館
その33
 《 小田急50000系ロマンスカ−登場 》

小田急の新型ロマンスカ−50000系の出場の様子をご紹介します。


2004年11月22日月曜日快晴
小田急ファンが待ちこがれた新型ロマンスカ−50000系が
日本車輌製造株式会社豊川製作所より出場した。
40数年の月日を経て小田急の振り子車がやっと完成した。
小田急万歳!

JR貨物愛知機関区所属のDE10 1725機が
社線を通ってロマンスカ−を迎えに来た。

DE10は日車の門をくぐり構内へと入っていった。

日車社線とJR飯田線との合流地点迄引き出されてきたロマンスカ−

時間調整の為に暫し停車中のロマンスカ−

いよいよ豊川駅へ入線するロマンスカ−

連結器や編成後部をしきりに確認する職員さん

新幹線かと見まごうアイボリ−の編成はニョロニョロと
体をくねらせながら豊川駅へ吸い込まれて行く

それにしてもガ−ドが固い!これでは全容が全く判らない

相模大野へ着くまでは使われない回送用連結器

クハ1658に住友金属工業叶サFE080を履かせた
第三次振り子試験車

O
dakyu electric Railway Powered Tilting car
自然振り子,油圧強制振り子に次いで1970年,
当時の運輸省の補助金を受けて完成させた
空気バネを利用した強制振り子試験車で
ボディ−は帯色と同じロイヤルブル−に塗られ,
アルミサッシとのコントラストが美しかった。
窓にはORPT試験車両との紙が貼られていた。
写真は試験終了後は長らく大野工場に留置されていた時のもので,
後ろにはイヘの姿も僅かに写っている。

小田急での振り子車の研究は1950年代後半より開始され,
3回に及ぶ実験車を経て2004年やっとその姿が具現化した。
EXEが登場した時はもう小田急は曲線高速通過の夢を
諦めたのかと落胆したが,ついに小田急に振り子車が登場した。
連接振り子台車は日車製ND-375及びND-375Tと称し
片持ち円筒積層ゴム式軸箱支持,Zリンク式牽引装置を採用。
空気バネを利用した車体傾斜装置はJR東日本スタ−21で
試用されたDT9036A台車と似た構造なのか?
長く伸びた円筒の上にはシャ−パック付き
ダイアフラム形空気バネが搭載されている。
尚,先頭前位ボギ−台車はスカ−トに隠れ形式は確認出来なかった。

空気バネ上部に装着された車体傾斜装置心臓部
車体間はいくつものダンパで結ばれていた。
ホロ中央部の金属製の枠も車体傾斜装置と関係あるらしく
台車と機械的に接続されている。

車間の渡り線は潟タカ製作所製のコネクタを使用し,
妻面上部左右と屋根中央部に渡されている。

写真はYH6コネクタ他
おそらく営業時は外ホロで覆われて見ることが出来なくなるだろう。

屋根中央部から渡される潟タカ製作所製のコネクタ群

小学生の頃,近所の図書館で小田急線上で繰り広げられる深夜の
振り子実験の記事を食い入る様に見ていたことを思い出す。
牽引役のFM車とORPT車との間に渡されたJAE製DB56ジャンパ連結器や
傾いて走るORPT車の写真は今でも脳裏に焼き付いている。

遡れば1960年以前より始まったとされる小田急の振り子へのチャレンジ。
民鉄でありながらSE車を完成させ,
振り子車の開発にも積極的に取り組んだ。

いつも新宿駅荷物ホ−ムに止まっていたキハ5000。ピ−ポ−を鳴らしながら
独特の連接ジョイント音を奏でながら走る3100。直角カルダン独特の
走行音や改造につぐ改造を重ねたFM車群を使った急行電車の凄まじい
加速感。粘着力を稼ぐために電動車と付随車とで車長を変えた2400。
新造時からのパ−ツは台枠,台車枠,モ−タ,パンタそしてベンチレ−タ
ぐらいと思われる迄手を入れた1800。乗るのが楽しみだったお買い物電車2600。パイオニア台車を履いたうるさい4000。大胆だった9000のデザイン。
いつまでもアルスト−ムを使い続ける信念。

そんな私の中の小田急が近年の画一化された電車の登場,そして登戸鉄橋
の終焉。小田急が小田急ではなくなってゆく寂しさ。最近の小田急に
関心が薄らいでゆくことを自分ではどうすることも出来なかった。きっと
世代交代して熱い経営者や技術陣がいなくなってしまったのだろう。
そんな推測ばかりが頭に浮かんでいた。


それが突然の新型ロマンスカ−の登場!従来からの前面展望席,低重心
連接構造,おまけに振り子まで付けてきた。もう冷静ではいられなかった。
小田急が帰ってきた。技術の小田急が帰ってきた。

そんな私の中の小田急の片鱗をご紹介させて頂きました。


         

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