ジャンパ連結器雑記帳 |
No.48 オヤ62 11にオハフ41 203を偲ぶ |
それはまだ夜行急行列車が沢山残っていた’70年代後半のことでした。老朽化してきたハザの置き換えに12系客車が使われるようになりました。それまでの薄暗い車内に比べて,12系のそれは明るく清潔でシ−トピッチも広く快適なものでした。しかしハネ,ロネ,ロザは代替車が無く相変わらず10系寝台車や62形ロザが使用されていました。この時所謂新系列に属する12系客車と従来型客車の混結という現象が生じたのでした。12系と従来型客車との間には,12系客車のKE85ジャンパ栓受けと従来型客車のKE54ジャンパ栓受けを結ぶKE85-KE54特殊両栓ジャンパ線が使われました。この特殊両栓ジャンパ線を撮影していなかった私は後悔にさいなまれるのでした。 時は移ろい昨年鉄道ピクトリアル誌7月号を手にしペ−ジをめくっていると50系客車に挟まれた従来型客車を撮した1葉の写真が目にとまりました。その従来型客車の1位に特殊両栓ジャンパ線が撮し込まれていたからです。その特殊両栓ジャンパ線の形状及び50系客車との混結という事実より,それは十中八九KE54-KE85特殊両栓ジャンパ線に間違いありません。記事を読むに連れ同型車が今でもその姿を見られることが判りました。これは是非この目で見てみたい!。そんな気持ちで取材に出掛けました。 |
問題の車は昭和29年8月21日に日車にて落成したスハフ42 278を源泉とし,昭和54年7月にオハフ41 203への改造を経て昭和59年4月16日オヤ62
11へ再改造され昭和62年2月7日に廃車となりました。現役時代のオヤ62 11の姿がリンク先の横山様の国鉄車両名鑑事業用車編に収められていますのでご覧下さい。 この写真は現在のオヤ62 11の姿で1−3位側を3位側より撮したものです。派手な塗装がされていますが,側面はほぼ原型を保っていました。 |
上の写真はオヤ62 11の2−4位側を4位側より撮したものです。隙間が狭くこんな状態でしか写真を撮ることが出来ませんでした。 |
上の写真はオヤ62 11の前身がオハフ41 203であったことの証とも言える写真です。この写真はオヤ62 11の1位端面を撮したもので,左下に54ジャンパ栓受け,そして右上にはKE85用の栓納めであるKER12形ジャンパ栓納めがしっかりと確認出来ます。余談ですがKER12の下側,自連解放テコの後ろにKE54用の栓納めが確認出来ます。オハフ41 203時代は,隣に併結された50系客車へジャンパ線を渡すために,このKE54栓受けとKER12栓納めとの間にKE54-KE85特殊両栓ジャンパ線が収納されていたのです。 |
この写真は1位に付いていたKER12形ジャンパ栓納めのアップ写真です。 |
この写真はやはりオヤ62 11の4位を撮したものです。こちら側にもKER12形ジャンパ栓納めが装着されていました。尚,この写真にはKE54栓受けが写っていませんが,取り付け部の腐食が激しかったのか下に落っこちていました。以上よりオハフ41 203では1位と4位にKER12形ジャンパ栓納めが装着され,50系客車との混結に対応していたことが読みとれます。残念ながら今回KE545-KE85特殊両栓ジャンパ線は残されていませんでしたが,KE54とKE85を結びつけるKER12形ジャンパ栓納めが確認出来たことは大きな収穫でした。 |
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